どの学習者も、最初のページで同じ分かれ道に出会う。知らない単語が現れ、決めなければならない。止まって調べるか、読み進めて意味が浮かび上がるのを待つか。どちらにやりすぎても読書は苦行になる。辞書を往復する切れ切れの行軍か、半分しか分からない文の霧か。幸い、簡単な目安がある。
調べるたびに払っている隠れた代償
単語を確認するために止まるたび、あなたは二重に払っている。文の筋を見失い、しかも読書を「理解する行為」ではなく「翻訳練習」として扱うよう脳を訓練してしまう。一ページで二十回調べても、一回のページより二十倍学べるわけではない。ただ疲れるだけで、人が読むのをやめるのはその疲れのせいだ。
止まる価値のある単語
その語が構造を支えているとき —— つまり、落とすと文ごと落ちるとき —— 調べる:
- 何度も出てくる。すでに三、四回見た語は明らかに重要だ。一度覚えれば、どこでも配当が返ってくる。
- それなしでは文が崩れる。何が起きているのか本当に分からないなら、一回の確認で段落まるごとを買い戻せる。
- 主語か動詞である。形容詞をひとつ落としても生き延びられるが、動作を落とせば迷子になる。
見送ってよいとき
その語が飾りにすぎないとき、あるいは文脈がすでに大意を手渡してくれているときは、見送る。「おいしい」と「テーブルの上に」の間に挟まれた知らない語が何らかの食べ物だと知るのに、辞書はいらない。読書はこうしたタダの推測に満ちていて、推測する力は練習でしか育たない技能だ。
あなたは一語一語を理解するために読んでいるのではない。物語を理解するために読んでいる —— 語はそのついでに乗ってくる。
だからゆるい予算を決めよう。一ページに数回、本当に行く手を塞ぐ語にだけ使い、あとは肩をすくめて先へ進む。物語を止めないこと。今日追いかけなかった語には、明日また別の文で出会う。自分のものになるまで、あと一歩近づいて。