精読か多読か:流暢さを作るのはどちらか
学習中の言語で読むやり方は二つあり、多くの人はうっかり遅いほうを選んでいる。その違いと、実際に流暢さをもたらすのはどちらかという話。
目標言語で「読んでいる」のに一向に速くならない、と感じたことがあるなら、たぶん間違ったほうの読み方をしている。怠けているからではなく、読み方が二種類あると誰も教えてくれなかったからだ。
語学教師は読書を二つのモードに分ける。精読と多読である。外から見ると似ている —— 人がいて、本がある —— が、脳に対してほとんど逆のことをする。そして自分が今どちらにいるかを知ることが、すべてを変える。
精読:顕微鏡
精読とは、短くて難しいテキストを近くから、力を入れて読むことだ。一段落を取り上げ、それを加工する。知らない語をすべて調べ、文法を解析し、あらゆる節を理解し、三回読み直すこともある。一ページに三十分かかることもある。目的は距離を稼ぐことではなく、一節を完全に絞り切ることだ。
多くの教室が訓練するのはこれで、確かな価値がある。厄介な構文を仕留め、この言語が実際にどう文を組み立てているかに気づき、解読できる上限を押し上げるのはこの読み方だ。しかし消耗が激しい。そして落とし穴がある —— 遅すぎるせいで、量がほとんどこなせない。一学期分の精読を合計しても四十ページということがある。
多読:走行距離
多読はその逆だ。比較的やさしいテキストを大量に、物語のために、心地よい速さで、一語ごとに止まらずに読む。自分の上限より少し下の本を選び、なくても生きていける未知語は流し、そして進み続ける。目的は量だ —— 数百ページ、数千の文。
流暢さを実際に作るのはこちらのモードで、そして多くの学習者が一度も入らないのもこちらだ。量こそが、語彙を「少し考えれば分かる」から「即座に分かる」へ変える。量こそが、文法を規則ではなく体で感じるリズムとして教える。量こそが、読書を労働でなくする。四十ページずつではそこへ行けない —— たくさん読むことで着くのであり、たくさん読めるのは一ページ一ページが快適なときだけだ。
両方いる —— ただし重心は圧倒的に多読へ
この点の研究はかなり落ち着いていて、常識とも合う。**多読は流暢さのエンジンであり、精読はたまの調整である。**読書の圧倒的大部分は多読で —— たくさんのページ、やや易しめ、楽しみのために —— そして顕微鏡に値する一節に出会ったときだけ、たまに精読へ切り替える。
多くの人はこれを正反対にやっている。学校がそう示したから精読をし、あまりに過酷なのでほとんどやらず、そして「まだこの言語では読めない」と結論づける。読める。走行距離が要る場面で顕微鏡を使っているだけだ。
多読モードにとどまらせてくれるもの
多読は摩擦が低いままでなければ成立しない。一語調べることが面倒になった瞬間、人は既定値として精読モードへ引き戻される —— 止まり、掘り、筋を見失う —— そして量が死ぬ。だから要点はただ一つ、たまの辞書引きをほぼ無コストにして、行く手を塞ぐ語を片付けつつ物語の流れにとどまれるようにすることだ。
Lucerna は多読のために作られている。どんな EPUB でも取り込め、プロジェクト・グーテンベルクから本を引ける。物語のために読み、本当に語が行く手を塞いだときは、一度触れるだけで意味・発音・動詞活用や格変化の表がまるごと出る —— そしてすぐ文に戻れる。辞書も、見失った場所もない。単語帳は立ち止まった語から自動で育つので、精読の作業は、ただ読んでいるあいだに裏側で静かに進む。現在は英語・ドイツ語・フランス語の辞書引きに対応、今後さらに増える。
The Reading Journal は Lucerna の編集コーナーです —— 語学学習者のための読書アプリ。ゆっくり流暢になる話を短く:一冊、五ページ、毎晩。